2011.09.29

知らなかった、日本

能登半島、というと、みなさんはどんなことを思い浮かべますか?

私は、そういえば何か、うたがあったかなあ?とおもいだしました。
津軽海峡となんとなくいっしょになっていましたが、『能登半島』は、石川さゆりの歌ったものでした。


能登半島、あそこだよね?とは思うものの、地図で確認してみると、日本海側ではかなり目立っています。
本州のちょうどまんなかへんに、取っ手のように出っぱっています。

若狭湾のあたりから伸びているような印象がありましたが、若狭湾の端にあたる越前岬から東尋坊をとおり、金沢のよこをぬけ、半島のつけねの羽昨市までの海岸線がけっこう長いのですね。


金沢、そして輪島というのは、いつか行ってみたいところと思っていたのですが、石川県って遠いんだとあらためて思いました。
地図を眺めると、なかなかおもしろいものです。


さて、なぜ能登半島に興味をもったかといいますと、今でこそ裏日本などといわれているけれども、その昔、海上交通の要衝としてさかえ、時国家というような有名な家もあったのだということを知ったからです。


時国家?聞いたこともないなと検索してみると、思ったよりずっと多くのヒット。
観光地としてもとりあげられていて、とても興味がでてきました。

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タグ:歴史

2010.07.22

お米は日本人の主食です?

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弥生時代、少なく見積もれば1日約0.28合。
多く見積もっても1日0.9合。
お米を食べていたらしい、です。


1合は150gです。

65グラムのお米を炊くと、約おちゃわん一杯のごはんになります。


0.28合は42g。
0.9合は135g。

今の炊き方で考えると、お茶わんに6〜7分目から2杯分くらいですね。


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2009.10.01

縄文時代の食生活は?

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学校の社会科で勉強した縄文時代というのは、火炎のような土器の縄文式土器をおぼえているくらいで、あまり印象にありません。

縄文式土器の縄文時代があって、次が弥生式土器の弥生時代になる、それくらいの情報しか、教科書からは受けとれなかったようです。

小田静夫さんの『日本人の源流』という本のなかに、「『食』の起源を遡る」という興味ぶかい頁がありました。

これを読むと、縄文時代の日本人は、私が思っていたよりよほどゆたかな生活をしていたようです。

 縄文時代から食べられてきた
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2009.07.21

兜は派手で個性的

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朝顔、茄子、桃に、蝶、帆立貝、海老、蟹、蚫、さらに各種神仏や壺、月や富士山まであるこれらは、いったい何だと思われますか?

最近では、「愛」が話題になっていますね。


「愛」は、『天地人』の直江兼続のの前立になっています。

   
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2009.06.18

平安時代の色々

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平安時代というのは、なんとも不思議な時代なようです。



平安時代
といえば、『源氏物語』、王朝文学、雅、といったことをおもいうかべます。

蹴鞠、直衣、十二単、弘徽殿、紫式部、光源氏、寝殿造り、などなどのことばをならべただけで、平安時代のイメージがうかびあがりませんか。

 
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2009.04.20

桜と武人の魂

 現在、高遠城を包囲している敵の大将は、信長の長男・織田信忠であった。
 三峯川をへだてた彼方の台地には、見わたすかぎりに織田軍の篝火が燃えさかっていた。


 織田軍の総大将・織田信忠の本陣から鳴りわたる法螺貝に応じ、高遠城を包囲している麾下の諸将の陣営から、いっせいに法螺貝が鳴りひびいた。
 うすれかかる霧の彼方に、おびただしい織田軍の戦旗や指物・馬印などがうごきはじめた。
 敵の軍馬のいななきが、城内の将兵の耳へ、はっきりとつたわって来るばかりでなく、命令を下す敵将の声までがきこえる。
 織田軍は、搦手口の下と、藤沢川をわたって北側の三の丸曲輪の崖下へ押しつめて来た。


 
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