英語では、「あなたはナニナニしますか?」という問いに、必ず「イエス」「ノウ」を先に立てて答える。
どうしようかなとためらっていると、重ねてたずねられる。それも「イエス、オワ、ノウ?」とゆっくりではなく、「イエスオワノウ?」と畳み掛けた調子なのだ。
先生はよく、こう私を叱った。
「ノウ・エクスキュース!」
『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』 清川妙
「今出かけるの?それともあとから?」
「これ、買うの?買わないの?」
「捨てようかしら、どうしよう」
人生は、イエスオワノウに満ちている。
わたしも、我が家の住人たちも、イエスオワノウ?にお答えするのは、ひじょうに苦手だと思います。
図書館行く?どうする?とお互いに言いっぱなしで、結論が出るまでに1時間もかかっていたりします。
清川妙さんも、英語をおしえていただいた先生との会話で、ためらったりあせったりしながらも、「イエスとノウがはっきり言えるようになった」そうです。
それはなにも、たいそうな決断力とかではなく、「感情からだいぶ贅肉がとれて」「物事はすっきりと合理的に運ぶ」ということのようです。
つまらないところで、もたもたひっかからずに、さっさと本来やるべきことにすすむ、ということなのでしょうね。
「ノウ・エクスキュース!」というのは、「言いわけをしないで!」ということです。
清川妙さんも、宿題をしないでしまって先生によく「ノウ・エクスキュース!」を言われたそうです。清川妙さん、56歳のころのことですが。
「イギリスでは、子供時代、少年、青年時代を通じて、両親や学校の先生などから、この言葉を浴びて成長していくのだろう」とありますが、日本でも、少し前の時代までは、「いいわけはするな!(ぴしゃん!と頬をはったりして?)」ということがあったのではないでしょうか。
子どもがいいわけをするんじゃない、というのがあったような気がします。
いまの親には、ちょっと考えられないかもしれません。
親業についてあれこれ言う人たちも、子どもの話を良く聞いてということのみを言うようです。
けれど、「ノウ・エクスキュース!」があってもいい気がします。
大人の世界には、言い訳の通用しないばしょもありますね。
電車が遅れたり、ちょうど来客があったり、風邪で体調が悪かったり、正当な理由がどこでいいわけにかわるのでしょうか?
自分が正当であるはずの理由を言ったから、許されるべき、とおもったときに、きっと、「ノウ・エクスキュース!」なのですね。
ぐずぐず言ってないで、イエスオワノウやノウ・エクスキュースですませて、それで恨みっこなしだったら、さっぱりしていいな、と思います。