2010.08.11

朝顔の緑のカーテン

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朝顔緑のカーテン、この時期にはとても涼しげでいいですね。


以前、長野県須坂市の田中本家博物館で、この朝顔の緑のカーテンをみました。
それはみごとでした。

江戸中期のころからの「豪商の館」をそのままに、代々の生活に使用された衣裳や漆器、陶磁器類、子どもの玩具などもていねいに保存されている博物館です。

ヘブンリーブルー、一色だけの、カーテンというよりここでは滝のような朝顔でした。
枯れ葉一枚、しおれた花ひとつついておらず、通路に沿ってどのくらい続いていたでしょうか。


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2010.07.13

紫蘇のひみつ

紫蘇の良さをいかした食品、紫蘇を使った製品、ずいぶんあるんですねえ。
健康嗜好がブームなのでしょうね。


紫蘇、むらさきの文字が使われているところをみると、赤い紫蘇がさきにあったのでしょうか。


あかい紫蘇のほうは、梅づけに使う色づけといった用途しか思い浮かびません。


緑の葉の紫蘇は、刺身などにもかならずツマについていますね。
きれいな葉は、ずいぶん消毒しているから食べないほうがいいというはなしも、わざわざ刺身についているのは栄養的にも意味があっているから、食べないと、というはなしも聞いたことがあります。


わが家では、夏の料理には紫蘇は欠かせません。
いよいよ、紫蘇の季節になりました。


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2009.01.15

脳と心

って、どこにあると思いますか?

保育園の子どもたちに聞くと、胸の辺りを指す子どもが多いようです。


の在り処とかいうものは、魂といったような言葉にもつながっていて、どこといえば自分自身であるとか、胸?頭?どことは決められないんじゃないの?と思いますよね。


ところが。


  心のオークション




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2009.01.13

「クオリアは、ひとつの奇蹟です」

ことばの彩り頁


 クオリアとは、もともとは「質」を意味するラテン語で、現代の脳科学では、私たちが心のなかで感じるさまざまなユニークな質感を指す。

 現代の脳科学では、意識のなかで他と区別される形で「これ」とつかみとられるものはすべてクオリアであると考えられている。心のなかでさまざまなクオリア感じることができる、ということが意識の定義であると言ってもよいのである。

茂木健一郎の脳科学講義』 茂木健一郎


茂木健一郎さんがクオリアということばを使うのを、聞いたことがあるでしょうか?


 茂木健一郎


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2009.01.11

怒濤の海

ことばの彩り頁



「鳥は飛ばねばならぬ
       人は生きねばならぬ
       怒濤の海を
       飛びゆく鳥のように
       混沌の世を
       生きねばならぬ
       鳥は本能的に
       暗黒を突破すれば
       光明の島に着くことを知っている
       そのように人も
       一寸先は闇ではなく
       光であることを知らねばならぬ
       新しい年を迎えた日の朝
       わたしに与えられた命題
       鳥は飛ばねばならぬ
       人は生きねばならぬ」


       
坂村真民さんの詩

『うつの世界にさよならする100冊の本』 寺田真理子



新年というには、遅くなってしまいましたが、新しい年を迎え、どんな気持で皆さんすごしていらっしゃるのでしょう。


坂村真民さんの詩


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2008.10.27

ありがとう

個人的な理由ではありますが、ただいま更新をストップしております。


いつもご訪問くださる方、ありがとうございます。

彩はどうしているのかな、と気にしてくださった方⇒こちら

2008.10.15

てんかんであっても。あるからこそ。

ことばの彩り頁



日本てんかん協会の月刊誌『波』に、てんかんであるご本人の体験談がのっていました。

てんかんであることがわかったのは、看護短大在学中。
てんかんであることを知らせたときの学校の否定的な対応。

から始まり、その後どう看護士への道をとることができたのか、現在は、看護士としてどう仕事をしているか、というお話です。

あまり目にする機会のない方も多いと思いますので、少し抜粋しながら、紹介したいと思います。


  ドストエフスキーもてんかんだった


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うれしくて、悲しくて

清川妙長春色の彩り



 マリラが泣くシーンがある。 
 ある日、なにげなくアンと並んで、アンのほうが背が高くなったのを見て驚く。冬の夕暮れ、マリラは泣く。自分がかわいいと思っていた子供がいなくなって、十五歳の新しい娘が来たので、うれしくて、悲しくて,マリラは泣くのだ。

『さあ、勇気を出してごらん』  清川妙



赤毛のアン』のなかで、マリラがいかにアンのことを愛おしく思うようになったかということについての、清川妙さんのことばです。


わが家では、

  『赤毛のアン』collection


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2008.10.14

障害ということ

障害は、まったく、社会が勝手に作り上げる概念

その状態が、個人にとってどうであるかにかかわりなく、普通の世間で生きにくく、世の中から不利益をこうむったり、差別を受けたり、はじき出されたりしたときに、障害というものになるわけです。


障害をもつ子のいる暮らし』 毛利子来・山田真・野辺明子 編著


NHKスペシャルの「読字障害〜文字が生んだ病〜 」を見ました。

これを、病とか障害、と呼んでよいものなのか、とても疑問に感じています。


読字障害とは、文章を読むのに困難であるひとたちのことを言います。

聞いたことばや、記号で書かれたものごとは理解できるのですが、文章に書かれたことばをすらすら読んだり、読んだことをすぐに意味に結びつけることができにくいということですね。

日本では、20人にひとりいるそうですから、40人のクラスとしたら、2人くらいはいることになるわけですね。


  「頭のよさ」は遺伝子で決まる!?




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2008.10.10

読みたくもあり、、、。

ことばの彩り頁


 
「みなさんに明日が来ることは奇跡です。
  それを知っているだけで
  日常は幸せなことだらけで
  あふれています」

余命1ケ月の花嫁』 TBS「イブニング・ファイブ」編

きょうは、買った本のお話を少しだけしようと思います。

というのも、この本はまだ、読んでないんですね。


  早期発見、早期治療
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2008.10.05

イギリス人のほめ言葉

先日、わたしのブログを風花未来さんの『風花心伝』でとりあげていただいたことを書きました。
とても素敵なことばで書いていただいて、とても嬉しかったのです。


心にふれたことを、とっさのほめ言葉として相手に渡すことは、なんとすばらしいことか。

イギリスの人たちは、とにかく
ほめ上手
、感謝上手である。





清川妙さんは、ご自分が、英語の先生の新しいスーツをすぐにほめられずに、間の悪いおもいをしたことを書いています。

それとともに、旅の中で、初対面のイギリス人に自分の帽子をほめてもらって、とても嬉しく思ったことも書いていらっしゃいます。
さりげなく、自己紹介替わりのように。


 

風花心伝についてのブログをよみたい方⇒こちら
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2008.10.01

風花未来の『風花心伝』

みなさん、ご存知ですか?
風花心伝』。

風花心伝』は、情報商材です。


さいきんになって、情報商材なるものの存在を知りました。

○○がうまくいくための方法、知ってますよ、みなさんもやってみましょ、ということですね。
ただし、うまくいくという情報には、それなりにお金がかかります。


ありとあらゆることが情報商材になっていて、びっくりもし、なんだかおかしくもありました。
もてる、ダイエット、犬のしつけ、バストアップ、いびき克服、ゴルフ上達、競馬に勝つ、など、いろいろありますが、いちばん多いのは、お金を儲けることにかんする情報商材です。

その方法も、多種多様ですが、ネット上で、というものがやはり多いですね。


そんななか、たまたま『風花心伝』の存在を知っても、うさんくさいなあ、と思うだけでした。
短期間で、手間をかけず、高額の収入があり、一生こまらない、というようなことばがよくある情報商材の売り文句になっているわけですから。


ネット上でたびたび情報商材の文字を見るようになり、きちんとしたものもあることも朧げながらわかってきたころ、わたしは、ブログをかいていました。

アフィリエイトもやってみたけれど、成果もあがらない、そんなものかなあと、あきらめもし、ブログも日をおってアップできないようになり。


  アフィリエイト


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2008.09.30

赤毛のアンの真珠ひとつぶ

”こまやかに”

 かやうのことはただ朝夕の心づかいによるべし

 こまやかに見、こまやかに聞き、こまやかに心にとどめる。


 こまやかに人を愛し、こまやかな日々を暮らし、それを積み重ねて、こまやかな人生を成就させることができれば、この上もないしあわせだと、このごろ、切に思う。

『徒然草』の第三十二段で、兼好法師がさもなつかしそうに語ってくれたのは、ひとりの女性の思い出である。







清川妙さんの本を読みはじめ、なるほどねえ、というていどで軽く読み終わるかなと思ったのだけれど、気になる文章が多くて、そうはいかない感じです。

清川妙さん、『赤毛のアン』がお好きで、古典とともにところどころで引用されていらっしゃいますね。
私も、『赤毛のアン』が、それはそれは好きだったのです。


清川妙さんの「こまやかに」の文を読んで、『赤毛のアン』に、真珠がひとつぶひとつぶ連なったような日々のしあわせ、というような一節があったことを思い出しました。
なんども『赤毛のアン』を読み、おとなになったころ、真珠ひとつぶの意味がよくわかる気がしていました。


ずうっと赤毛のアンシリーズが大好きで読みつづけていたけれど、このごろは、遠ざかっています。

真珠のことばは、ほんとうはどうだったろう?

  赤毛のアン


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2008.09.28

清少納言の「うれしきこと」

”魂がふるえました。おすすめです”というIさんは六十年近くも前のあの頃とおなじ魂を持ちつづけているのだ。その心の皮膚はいまもやわらかく、弾力に富んでいる。
 心の皮膚のやわらかさといえば、『枕草子』に、”こころときめきするもの”という段がある。

 清少納言の心に感じるのは、やはり、若さ、みずみずしさ。彼女もまた、自分の魂のふるえを語り、私たちに「ね、そうでしょう」と同意を求めるのだ。

   
 秋のある日、Nさんから一通の手紙が届いた。

”先生、きょうはうれしきこと三つでした”

枕草子』の中の”うれしきこと二つにて”ということばを踏まえているのである。


 心のときめきを持ちつづける人たちの手紙や電話に触れ、私もまたときめきを分けていただく。それをエッセイに書きとどめることによって、私もまた読者にお福分けする。


 私の日々は、まさに”うれしきこといくつもにて”である。





枕草子を、いろいろな方の訳で読んだ時期がありました。
高校時代に古典で勉強したころには、興味がなかったわけでないものの原文で読むのは難しくて全然だめ、と思っていたものです。
いまだったら、あんがい原文でも困らないかなあと思ったりもします。

やはり、勉強しなければと思って読んだ枕草子は、文章としてはあまりこころに響くことがなかたのでしょうね。
その後に読んだ本のおかげで、清少納言も、ずいぶんと生き生きと身近に感じられるようになってきました。

  清川妙さんの著作

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2008.09.26

大島弓子のグーグーと一杯のミルク

大島弓子さんの『グーグーだって猫である』が、映画化されているんですね。

わたしは最近知ったので、ちょっと、びっくりでした。

グーグーだって猫である』は、映画化するようなドラマのようなストーリーがなく、地味なはなしだと思っていたからです。
それに、『グーグーだって猫である』、わりと以前に描かれたまんがだと思っていたので。

映画の『グーグーだって猫である』は、主演が小泉今日子さんというのも、ちょっとびっくりでした。
大島弓子さんは、いつもイラストでご自分のことを描いていて、どんなお顔なのか知らずにいますが、小泉今日子さんとは結びつかなかったのです。

でも、どうやら、映画のほうは、お話が原作とは少しだけ違うようですね。

グーグーだって猫である』の漫画のほうは、なんと、まだ連載中なのでした。
二度、びっくり。
しばらく前に図書館でみかけて喜んで借りたのですが、もう次の巻が出てお話もおわっているものと思っていました。
(大きな図書館でないので、全巻揃っていなかったりするのも、有りなのです)

現在は、「本の旅人」で連載中のようです。


さて、

    グーグーだって猫である







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2008.09.23

ひとり旅

多くの見知らぬ人とめぐり会い、語りあう楽しさ。それは人生の味を深めてくれる、最上のスパイス。そして、また、自分の価値観や自立心と真っ正面から向きあうことは、自分を鍛えあげることになる。

『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』 清川妙



清川妙さんは、『さあ、勇気を出してごらん』という本の中で、「大変内気であった私は、仕事をすることを通して、その性格を直していった。」と書いていらっしゃるんですね。

それなのに、海外ひとり旅を、しかも60歳をこえてから13回も、敢行されている、本当に内気なのですか?とお聞きしたくなります。

私だって、内気です。
できうれば、義理やら必要に迫られて人にあったり何かの会にでるのは遠慮したいです。
専業主婦ですから、できるだけ家に引きこもっていようと思えば、そうできます。そして、まあ、かなりそうしています。

でも、旅はいいなあ、と思います。
このところの子育ての疲れというか、家庭に縛られることのいらいら解消には、ひとりになることがいいなあと思ったりします。

いま、さあと思い立ってひとり旅に出かけていくのには、あまりにも根回し?というか事前に片付けておかなければならないことが多すぎて、とてもたいへんそうです。

海外まで出かける時間は、とてももてないでしょう。

せめて国内だったら?

『ひとりたび1年生』『ひとりたび2年生』というたかぎなおこさん著のほんをみつけました。

こっちだったら、いけるかなと思います。

家から離れてアパート生活をした学生の頃や、結婚してしばらくは、身軽で、気持ちもみがるだったのでしょう。
旅とまではいわないものの、ひとりで日帰りの移動くらいは、ごく気軽にやっていました。

それが、出かけないことが習慣になってしまうと、ほんの数時間のおでかけでも、よっこらしょっと腰を上げないと行けないのです。


あこがれのイギリスはひとまずおくとしても(英語もまるでしゃべれません)、もう少しでかけることを自己プランニングしてみよう、清川妙さん流に言えば「セルフ・マネジメント」して、活力を、元気を、笑顔をとりもどさなければと思います。

2008.09.22

イエスオワノウ?

英語では、「あなたはナニナニしますか?」という問いに、必ず「イエス」「ノウ」を先に立てて答える。
どうしようかなとためらっていると、重ねてたずねられる。それも「イエス、オワ、ノウ?」とゆっくりではなく、「イエスオワノウ?」と畳み掛けた調子なのだ。

 先生はよく、こう私を叱った。
「ノウ・エクスキュース!」


『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』 清川妙



「今出かけるの?それともあとから?」
「これ、買うの?買わないの?」
「捨てようかしら、どうしよう」

人生は、イエスオワノウに満ちている。


わたしも、我が家の住人たちも、イエスオワノウ?にお答えするのは、ひじょうに苦手だと思います。

図書館行く?どうする?とお互いに言いっぱなしで、結論が出るまでに1時間もかかっていたりします。

清川妙さんも、英語をおしえていただいた先生との会話で、ためらったりあせったりしながらも、「イエスとノウがはっきり言えるようになった」そうです。
それはなにも、たいそうな決断力とかではなく、「感情からだいぶ贅肉がとれて」「物事はすっきりと合理的に運ぶ」ということのようです。

つまらないところで、もたもたひっかからずに、さっさと本来やるべきことにすすむ、ということなのでしょうね。


「ノウ・エクスキュース!」というのは、「言いわけをしないで!」ということです。

清川妙さんも、宿題をしないでしまって先生によく「ノウ・エクスキュース!」を言われたそうです。清川妙さん、56歳のころのことですが。

「イギリスでは、子供時代、少年、青年時代を通じて、両親や学校の先生などから、この言葉を浴びて成長していくのだろう」とありますが、日本でも、少し前の時代までは、「いいわけはするな!(ぴしゃん!と頬をはったりして?)」ということがあったのではないでしょうか。
子どもがいいわけをするんじゃない、というのがあったような気がします。

いまの親には、ちょっと考えられないかもしれません。
親業についてあれこれ言う人たちも、子どもの話を良く聞いてということのみを言うようです。

けれど、「ノウ・エクスキュース!」があってもいい気がします。


大人の世界には、言い訳の通用しないばしょもありますね。

電車が遅れたり、ちょうど来客があったり、風邪で体調が悪かったり、正当な理由がどこでいいわけにかわるのでしょうか?

自分が正当であるはずの理由を言ったから、許されるべき、とおもったときに、きっと、「ノウ・エクスキュース!」なのですね。


ぐずぐず言ってないで、イエスオワノウやノウ・エクスキュースですませて、それで恨みっこなしだったら、さっぱりしていいな、と思います。


2008.09.21

 どんな習いごとでも、どんな仕事でも、人はいくつもの溝を越えながら歩いていく。溝を越えるためには、一歩ずつ一歩ずつ歩いていくよりしかたがない。しかも溝というのは、とび越える前には、けっしてわからない。でも気がつかないうちにふっととび越えて、あとから、はっと意識するところに、無限の喜びがある。


『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』 清川妙



オリンピック中継に関連して、スポーツ選手の話題も多く、スポーツ音痴のわたくしは、ひたすら感心しておりました。

がんばって頑張って、スランプに陥って、でもまたがんばり続けているうちに、ある日気がついたらうまくいくようになっていた、っていうような話、よく聞きますね。

本当に、すごいなあー、と思います。

それこそ、究極の「溝をこえる」だと思います。


我が家の次男が、保育園で年長になった今年から、一輪車を始めました。
もちろん、強制ではありませんが、ひごろから、自分の力を伸ばしていこうということに力を入れているところなので、子どもたちも、自然とやる気になって取り組んでいるようでした。

6月の参観日では、年長児(といってもごく少人数です)が一輪車の練習をしていました。バーに捕まって、というより寄りかかるようにしてヨロヨロ2、3回転ぶん進み、バーから離れたとたんにぱたっと足をつくという状態で、とても乗れるようになるとは思えません。

何回か、乗れるようになったか、誰かお友達で乗れるのか、と聞いてみましたが、誰も、乗れていないようでした。

夏、子どもたちは水遊びのまっさかり。

とても一輪車など練習していないようだし、いったいどうなっているんだろう、例年の様子だと、きっと運動会に披露するんだろうに、大丈夫かな?と思っていました。


ところが、9月のある日、一輪車は?と聞くと、「のれるようになったよ」の答えにびっくり。

しかも、全員乗れるらしいのです。

えー!いつのまにーー?!

子どもにとっては、大事件でもなく、いつのまにか乗れたくらいの感じらしく、親のほうが、すごいすごいと連発してしまいました。


夏はやっていなかった一輪車の練習。
6月に見たときは、まるで乗れそうでなかった。

それでも、6月7月のころにまいにち頑張っていた成果が、ぱっとあらわれたんですね。

子どもは、溝があるなんていうことも感じないうちに、楽々クリアーしていくんですね。
子どもの力ってすごいなと、あらためて思いました。


さて、わたしには、「溝を越え」ながら一歩ずつすすみ、喜びを得ることのできるようなことがあるでしょうか?

子どもの世話?パッチワーク?
いまはブログを書くことかもしれません。

ことば

ことばの彩り頁



そう考えると、多感な子ども時代を受け止める保護者の方は、まずは学校から子どもが帰ってきたときには、明るい声で「おかえり」と呼びかけ、スキンシップもしてあげるべきでしょう。そして、お互いに目を向き合わせ、肩を寄せて、今日学校で起ったことを聞き、相槌を打ってあげることが大切です。

子どもから何かを聞くときには、仕事の手を休めて子どもの目を見て、正面から向くようにしたいものです。そうでないと、子どもたちに不満が残り、本当の信頼が得られなくなります。


いま伝えたい大切なこと』 日野原重明



テレビのコマーシャルで、いくら「子ども抱きしめてあげましょう」だの「子どもと会話をしましょう」だの言われても、あたりまえじゃなーい?と思ってしまう自分がいます。

そんなことは当たり前と思う反面、忙しくてできない、だの、抱きしめるって言ってもね,今さら、、、とできない言い訳もあります。

それが、日野原重明さん、96歳に言われると、なるほど、そういうものだなあ、と素直に思えるのです。

ご自分が、子どもにも患者さんにも、かわることなく真摯に接していらっしゃる方が口にする言葉だからでしょうか。
日野原重明さん、ご自身も、なんだか子どものように素直にいっしょうけんめいな方で、うわべや理屈でなく、本当にそうしたほうがいいんですよ、という気持ちが伝わってきます。

「心理学者のA・メラビアン博士によると、感情の伝達に占める言語の情報の寄与率は、わずか7%にすぎず、残りの93%は声や表情によるものだそうです。」

大人相手の場合なら、93%のうち45%くらいは、相手が勝手にこちらの感情を斟酌してくれるかもしれません。ああ、今忙しいんだな、とか、具合でも悪いのかしらとか、大げさな表現ねえとか。

でも、子ども相手の場合は、93%も使い切ってはっきり感情をつたえてあげないと、そのまま受け取ってしまうんですね。
不機嫌な様子なら僕に機嫌を悪くしてる、とか、忙しそうに片手間に相手をすると私の相手をする気がないみたい、とか。

いつもいつもは、日常を仕切っている主婦には、はっきりいって無理かもしれません。
でも、帰ってきたとき、子どもが自分のことを伝えようとしているとき、くらいは、1分、2分でも、気持ちを伝えるためのコミュニケーションをしなくてはいけないんだと、あらためて思いました。


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いのち

ことばの彩り頁


「いのちは目には見えないが、君たちみんなが持っていて使えるものだ。そしてそれは、君だけが持っていて自分のためにフルに使っている時間だ。その時間をこれから先、どう使うかがすなわち、君の生き方だよ」
「その君たちが持っていて、自分らしく使える時間というものがいのちの本体なんだよ」 
 

いま伝えたい大切なこと』 日野原重明



日野原重明さんて、お医者様なんですね。
でもって、本を書かれたときが96歳です。

いちど、テレビでも拝見したことがありました。
『情熱大陸』で、九十いくつのお医者様と聞いて、はじめびっくりしたことを覚えています。

注射器を持つ手がふるえたりしないの?とか、判断を誤ったりすることないのかな、大丈夫?とか、よほど後継者がいなくてがんばってる?などということが頭をよぎったりしました。

もちろん、情熱大陸の番組を見ている間に、そんなたーいへんに失礼なことを考えたりして、申し訳ありませんでした、という気持ちになりましたが。


『いま伝えたい大切なこと』は、2008年発行ですから、現在96歳、あいかわらずお元気なわけですね。

聖路加国際病院理事長、名誉院長として、お医者様として、そのほかお忙しいなかを、各地の小学校を訪れて「いのちの授業」を行っているのだそうです。

そのなかでの、いのちについてのことばです。

いのちって何?」と聞かれたら、どう答えていいか、こまってしまいますよね。
それに対して、このように、明確に返事が返ってきたら、それだけで、なんだか安心します。

日野原重明さんも、90歳をすぎてから、「『いのち』とは、自分が自分の意図で活用できる『時間』である」とはっきり考えるようになったそうです。

重みがあるとともに、説得力のある、それでいてわかりやすいことばだと思いませんか?


このブログは、『風花心伝』を参考に構成されています。
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