2011.09.29

知らなかった、日本

能登半島、というと、みなさんはどんなことを思い浮かべますか?

私は、そういえば何か、うたがあったかなあ?とおもいだしました。
津軽海峡となんとなくいっしょになっていましたが、『能登半島』は、石川さゆりの歌ったものでした。


能登半島、あそこだよね?とは思うものの、地図で確認してみると、日本海側ではかなり目立っています。
本州のちょうどまんなかへんに、取っ手のように出っぱっています。

若狭湾のあたりから伸びているような印象がありましたが、若狭湾の端にあたる越前岬から東尋坊をとおり、金沢のよこをぬけ、半島のつけねの羽昨市までの海岸線がけっこう長いのですね。


金沢、そして輪島というのは、いつか行ってみたいところと思っていたのですが、石川県って遠いんだとあらためて思いました。
地図を眺めると、なかなかおもしろいものです。


さて、なぜ能登半島に興味をもったかといいますと、今でこそ裏日本などといわれているけれども、その昔、海上交通の要衝としてさかえ、時国家というような有名な家もあったのだということを知ったからです。


時国家?聞いたこともないなと検索してみると、思ったよりずっと多くのヒット。
観光地としてもとりあげられていて、とても興味がでてきました。

『海民と日本社会』、網野善彦さんの本で、農民ではない百姓のひとつとして、海民がとりあげられています。

海民というのは、網野善彦さんの使っていることばで、農民に対して、土地にねざすのではなく、
主として海を舞台とするさまざまな活動を通じてその生活を営む人々をさしている。こうした海に生きた人々は、漁撈はもとより、岩塩を産しない日本列島では製塩を海辺で行なった。さらに船を操るのにたくみなこれらの人々は海・湖・川を通じて広域的に活動し、交通、物資の運搬を行なっただけでなく、塩・魚貝・海藻などの交易を起点として早くから商業活動に携わっていたのである。

という人々です。


「百姓は農民」というのは、そもそもちがっていて、古代から中世、江戸時代の支配者の意図したことであったということなのです。

稲作を基本とし、田んぼの単位から税を納めさせていたからこそ、農民が日本の基礎というような形が必要だったということでしょう。

百姓について、
日本においては当初は中国と同じ天下万民を指す語であった。しかし、古代末期以降、多様な生業に従事する特定の身分の呼称となり、具体的には支配者層が在地社会において直接把握の対象とした社会階層が百姓とされた。この階層は現実には農業経営に従事する者のみならず、商業や手工業、漁業などの経営者も包括していた。だが、中世以降次第に百姓の本分を農とすべきとする、実態とは必ずしも符合しない農本主義的理念が浸透・普及し、明治時代以降は、一般的に農民の事を指すと理解されるようになった。
百姓 - Wikipediaにもあるところをみると、百とはいわないまでもいろいろな職業をもつ、一般的な庶民であったのだろうと思われますね。


もちろん、これらの百姓の中には、器を作ったり、山で木を切ったり、米以外のものを生産したり、いろいろな生業を行うものがあったのでしょう。
けれど、陸のうえにかぎらず、海からの恩恵を受けながら、そこで生き、収穫をし生産をする者が、思うよりもずっと多く、日本は海に囲まれているという意味が、とても大きいのだと思わされます。


能登半島も、そういった海民の活躍した場でした。

時国家は、江戸時代三百石という石高をもつ百姓というだけでなく、北海道松前から敦賀にいたる大船をもち、商品取引をおこなっていました。
塩浜ももち、製塩し、その塩も交易していました。

田畑を持ちながらも、海運業を営み、鍛冶、石工から漁撈、製塩などにいたるまで多種多様な職人をかかえた多角的な経営者でもあったのです。

陸での交通が大きく発達するまでは、海上での交通、交易が経済を動かすおおきな力だったのですね。
そう思えば、能登半島の先端は、日本の中央に位置し、北へも南へも、非常に行きやすい交通の要となる場所だったのでしょう。


そういえば先日、NHKで「宇宙の渚」という番組をやっていました。
夜の地球、日本の夜景も写されたのですが、そのなかに、黄色い街のあかりとはべつに、海上に浮かぶ白いあかりがたくさんあありました。
それは、漁船の明かりだそうで、それほどおおくの船が、そのとき日本の周りにいるのだ、ということに私は、びっくりしました。


いまでもそうやって、海上で仕事をし、海で生計を立て、海で暮らす人々がたくさんいるんですね。



輪島市町野町にある時国家は、輪島市街地から能登半島の先端金剛崎までの半ばあたりにあります。

海岸から町野川を300メートルほど遡ったところに屋敷をかまえ、曽々木海岸に着いた荷を揚げていたそうです。
1831年、河川の氾濫で丘の上に新しい屋敷を建て、その屋敷は現在、重要文化財になっています。


本家にあたる上時国家、分家にあたる下時国家とありますが、どちらも輪島の名所となっているようです。
ただ、ふすまや欄間、建物の造作などから当時の繁栄ぶりは偲ぶことができても、どうも観光スポットとして楽しむ場所になってしまって、歴史に想いをはせるような場所でないようなのが、残念かもしれません。(どこもそういった場所が多いのですけれども。)


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NHK宇宙チャンネルー国際宇宙ステーションから見下ろす日本の夜景 - YouTube
タグ:歴史

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