水の利用が多くて、水道料が高いのです。
夏までは、義父が自分の口座からと、光熱費ほかを引き落としてくれていたので、実態を知らないことにしてすませていたのです。
さて、自分たちの家計に直接影響のでる口座から引き落とされるようになってみると、ちょっとびっくりで頭をかかえこみたい金額でした。
さっそく、節水につとめます。
といっても、水道をなるべく出しっぱなしにしないという、とても基本的なことです。
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さいきんちょこちょこ登場する、山本ふみこさんの『わたしの節約ノート』に
いまのわたしがふと、祖父に「見ないで」と叫びたくなる場面が、そこだ。
たとえば−―
――それはなんだい?
――シャワー。
――そこから、湯も出るのか。
――そうなの。……ごめんなさい、おじいちゃん。
つい流し放しにして湯でも水でも使っているところを、祖父に見られたくない。
この、「ごめんなさい」という感じが、よくわかるのですね。
こんなに使って、ごめんなさい。
こんなにむ雑作で、ごめんなさい。
自分たちばかり、便利でごめんなさい。
たいせつに思っている祖父で、もう30年も前に亡くなっているのだけれど、いろいろな思い出があり、その存在を感じているという山本ふみこさん。
口うるさく言われたわけではないのだろうけれど、その生活態度やたたずまいから、水を大切にする気もちをくみとっていたのでしょう。
思えば、昔のほうが水が豊かだったのでしょう。
どこにでも、きれいな水があり、使おうと思えば川の水だって使うことのできた時代です。
それでも、くんだ水を丁寧に使い、「水の流し放しはなかった」のです。
わたしの実家も、充分に水の豊かな、環境にありました。
農家なので、農作業に使う池や、田に引く水のながれる大小の川もありました。
自分の家で使う水は、段差のある裏の土手から湧く水を引いて使っていました。
それでも、溜めた水については「もったいない」ということを言われました。
今、水はどんどん便利に使えるようになっています。
でも、それがほんとうは、どうなのかな、やっぱりごめんなさんじゃないかなあと思うのです。
ほら、 飲み水がなくて困っている国の紹介なんかが、よくあるでしょう。
いぜん、なんの番組だったか、その井戸の水は汚染されていて、飲んだらかなりの確率で病気になることがわかっている、それでものどの渇きにはかえられず、現地の子どもはその水を飲んでいるということを放送していました。
なんでも、その水を飲むと、からだの中になにかの卵が入り、からだの中で孵化して、どんどん成長し、からだの中をとおって最後には、足のあたりから皮膚を食い破って出てくる、という、なんともいえないはなしでした。
あまりにイメージがわきすぎて、忘れられません。
今しらべてみると、ギニア・ウォームというのでした。
そんなことがあることを知っても、シャンプーもし、野菜を洗うために水を流し、じゃぶじゃぶ水を使うのです。
「いただきます」とごはんの前に言うように、水の利用にだって、「ありがとう」や「ごめんなさい」がないといけないなあ、それを忘れないように、子どもたちに伝えなにといけないなと思います。
いつもありがと!きょうはさっむいさっむい、でもPOTIはおねがい!

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