ゆっくり、ということが苦手なようです。
子どもが、のんびりゆっくりしているのを見ると、いらいらすることがあります。
あとであわてて悲しくなるのはわかっているのに、どうして今、早くシナインダろう。
ところが、自分も子どものときは、とーってもゆっくりしていたらしくて、参観日にみた親が、帰りの支度が遅くて遅くて、間にあうのかとはがゆかったと言っていました。
いつから、急ぐの大好きになってしまったのでしょう。
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大原照子さんの、『50歳からのシンプルライフ術』という本を読みました。
そこに、ちょっと気になる一言。
同時にいろいろなことをしない
大原照子さんは、これを、おもに調理をする際についていっています。
私は、「50歳から」ということが強く印象にあったためか、料理中に思い出して、それほど慎重になるには、50歳というのは早すぎるのじゃないかしらと思ったりしました。
また、ある忙しく夕食の用意をしているときに、手順よくすすむはずがちっともうまくいかなくて。
いろいろといっぺんにしない方がいいのかな、でも、ひとつひとつやろうとしたら時間かかり過ぎだよ、と思ってみたりもしました。
お鍋で湯を沸かしてから茹でる野菜の準備をし、ついでにみそ汁の具材を冷蔵庫からだして切り、というようにするのが、効率的だと思っていたわけです。
そして、調理をしながら、お風呂を洗ってお湯をため、お米をといでご飯を炊き、帰ってきた子どもに声をかけ、手洗いうがいをさせ、と、夕方の時間は主婦が忙しい時間です。
野菜がゆで上がり引き上げようと思う頃に電話がなったり、ピンポンと玄関チャイムが鳴ったり、ああお風呂の水がたまりすぎたと思う頃に、子どもが学校のプリントを手渡してくれても、「そっちにおいといて」ですませてしまうんですよね。
そこでひとつ、お醤油をこぼしたり、卵を落としたりすると、もう大惨事。
あーっと落ち込みもひどくなってしまいます。
こんなに一瞬一瞬をおしんで手や体を動かしても、作業にかかる時間は、それほどみじかくはならないのでしょうか。
気持ちがあせればあせるほど、失敗もし、子どものことばにも反応する余裕がなくなります。
こんなときに、山本ふみこさんの『片づけたがり』に、こんなことばをみつけました、
急ぐときには、わざとゆっくり
なんて、いまの私にぴったりなことば。
あれもこれも、とよくばるから、どれもうまくいかずに終わる、そんな気がしてはいたのです。
ああ忙しいよー、というそのいっしゅんに、ほら、ここで大きく深呼吸と立ち止まってみる。
でも、まだまだ余裕が足りなくて、やっぱり忙しいよと、また駆け出してしまう。
そんなのが、今の私です。
やっぱり、急ぐときには、わざとでもゆっくりするのがいいんだなあ。
私が急ぐのは、次に何かをしようとするためです。
子どもを急いで送りだしておいて、ゆっくり自分のことをしよう。
急いでメールを見て処理して、ブログを書こう。
昼前には銀行へ行こう。
そんなふうにして、どんどん前のめりになります。
でも、それで作業効率が上がるわけではないので、気持ちばかりがあせり、うまくいかずにいらいらします。
いらいらすると、家族にあたります。
考えてみると、子どもの頃からそんなところもあったのです。
のんびりしているわりには、合理的で効率の良いのが好き。
畑から剪定した小枝を束ねたものを運んでと頼まれたときには、1回にできる限りたくさん運び、はやく終わらせようと思うような子でした。
たんたんと続けるのが苦手。
忙しいことが重なるようなときには、考えすぎないことだ。
それは、少しは考えた方がいいこともあろうが、とにかく深呼吸をして、気持ちを落ちつかせ、端からさくさくと……(中略)片づけていく。
慌てる乞食は貰いが少ない(あわてるこじきはもらいがすくない) 人より多く貰おうとして欲張る乞食は、却(かえ)って施(ほどこ)しが少なくなる。同じように、慌てて騒いだり行動したりすると、却って損をすることが多いということ。
そうでしょう?
慌てないのがいいんです。
さくさく、たんたんと。
まず、私が気をつけるべきこと。
両手にモノを持とうとしない。
たとえば、コーヒーの入ったマグを片手に、もう片方にパソコンをかかえてなんて、よくあること。
ところが、これで移動しようとするので、ドアのノブが回しづらいんですね。
両手にもったままでやろうとするので、コーヒーをこぼしたり。
ひとつひとつ、を、ゆっくりたんたんとつづけることで、丁寧な生活へとつなげていきたい、とんなふうに思っています。
いつもありがと!今日は?気分‥‥potiはお願い!!

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