あ〜〜ア、って、なさけない想いをされること、ありませんか?
今、私は自分がなさけないです。
「自分をほめてあげたい」とは、まるで反対の状態です。
はじまりは、このごろきちんとしてないなあ、って、もう少し片付けや掃除に力をいれなきゃいけないな、って思っただけのことだったのですけれど。
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山本ふみこさんの『片づけたがり』という本がめにはいり、ふと、おもしろくて役に立つかもしれない、と買ってみました。『わたしの節約ノート』も、いっしょに。
「節度をもって、約しく暮らす」ということばが、いいなあと思いました。
それから、いっしょに気になった『ていねいに家しごと』(天然生活くらしbooks)も買いました。
どこかで、自分の中に、暮らしをみつめなおしたいというような、欲求があったのでしょうね。
このごろ手作りもしなくなっていたなあ、って思います。
そして、冒頭の、みつさんという布作家さんの暮らしに、あっ、やられた!というような気がして、いっしゅん本をとじてしまいました。
たぶんまだ、私より若いのだろうに、きちんと、あまりにもきちんと、ていねいに生活するさまに、自分をふりかえらずにはいられない気がしたのです。
それは、きちきちではなく、「無理なく、ほどよく、ていねいに」なのです。
みつさんのhp「みつのあはれ」http://www.mitsou.org/
みつさんのbook『簡素なくらし』
このさい年齢は、まるで関係ないのだろうけれど、私の中には、(私より)若いのに、とか、年上なのに、という感覚が、わりと強くあります。
それはたぶん、年齢というよりも、生活の仕方が基本的には同じ、そして女性である、ということが同じ条件であるということでしょう。
たとえば、スポーツ選手がすごくがんばっているのをみて、すごいなあ、って思って、自分もがんばらないと、と思うけれど、そういうのはなんか、漠然としてますね。
感心はするけれど、それはプロだからとか、もともとそういう人なのだろうなあという感じが強いのですね。
自分もなにかがんばろう、とは思っても、それはすぐに忘れ去られていきます。
でも、自分と同じ生活をしているはずの人、派手に活躍でなくてふつうに、地味に生きている人、そんな人たちが、きちんと自分で生きている、ぴかっとではないけれど中から輝いているようすを窺い知ると、はっとさせられる想いがつよいのです。
清川妙さんも、そんな方でした。
山本ふみこさんのブログ『山本ふみこさんのうふふ日記』の、『変わり者たち』、これが昨日の分です。
そっかー。「変わり者」かあ。
すごく一生懸命とか、チカライッパイには抵抗の強い私も、変わり者でいようというのは、とてもすんなりうけいれられました。
それから、こんな方も。
『ほのさんのバラ色在宅生活』の、ほのさんのかあさん。
おなじ重症心身障害児をかかえて、でも、ほのさんとの生活自体をきちんと生きようとするhonohonoさん。
あたまが下がります。
ほのさん、呼吸管理もあるからとっても大変なのに、そういうことを重すぎず、軽すぎずうけとめていらっしゃるんですね。
さいきんの私、ぐーたらかあさんで、誰かがなにかしてくれない、だれもわかってくれないという小さな不満がうずまいていて、文句ばかりでした。
どーしたらいいのかわからないけれど、なにかしないといけない。
わかっていても、何からてをつけていいのかわからない。
これですっきり、なんていうわけにはいかないけれど、おちこむんじゃなくて、ちょっとそこのごみを拾っておこう、花を飾ってみよう、という小さなきちんとを、やってみたい、そんな気がしています。
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