2010.06.26

イギリスそれとも英国あるいはUK


ワールドカップですね。


スポーツに関心のひくい私は、イギリスのサッカーチームがイングランドスコットランドウェールズ北アイルランドと4つあるということを、おぼろげながらしっているだけでした。


FIFA国際サッカー連盟に加盟しているサッカー協会ごとにチームをだすことができる、ということで、各国ごとの代表チームがあらそう、というわけではないんですね。
日本ではもちろん、日本サッカー協会ひとつですが、イギリスでは4つもサッカー協会があるということです。


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イギリス、または英国というように日本人は一般的に言いますが、国としての正式名称は、"The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland"となります。


Great Britainの部分は、グレート・ブリテン、ブリテン島で、 北部がスコットランド、南部がイングランド、西部がウェールズとなっています。
これに、アイルランド島の北部にあたる部分を領する北アイルランドをふくめて、4国の連合王国が、UKとなるわけですね。


本州とその周りの島々としてひとくくりに考える日本とは、ずいぶん違っていて、ややこしい、どうしてそんなふうなの?と思えますね。


日本はユーラシア大陸の東端、イギリスは西の端にあるということで、
西の島国は、東洋の小島と同様、一種大陸の吹きだまり的位置にあって、その植物の種類や鳥類の多さも、同じことが言えるらしい。



これを読むと、日本とイギリスは、似ている部分もあるのかと思えますが、国の成り立ちということでは、ずいぶん違っているようです。


ブリテン島にはもともと、ケルト系のブリトン人が住んでいました。
紀元前1世紀には、ローマ帝国の軍団が攻めてきました。
ちなみに日本では、弥生時代です。


南部のほうからしだいに、ローマ帝国の支配をうけるようになり、文化的にもローマの影響をうけました。
けれども紀元5世紀のころには、ローマ帝国が衰退期に入って、ローマ軍団はブリテン島から撤退してしまいます。


そこへやってきたのが、ゲルマン民族です。
ゲルマン民族の、アングル族、サクソン族、ジュート族が、大陸から浸入し、ブリトン人は、島の西方においやられていきます。ケルト神話系のブリトン人は、ウェールズ、アイルランド、スコットランド、そして一部は、北西フランスに渡ってブルターニュ地方に定住しました。


日本は、倭王の時代から、推古天皇、聖徳太子らのころです。


各地に王がうまれ、おたがいに闘いをくりかえしながらも、イングランドにはアングロ・サクソンを統一した王国ができていきます。
これが、日本では平安京から平城京に遷都したころまでの時代。


8世紀になって、さらにやってきたのが、ノルマン人です。
スカンディナヴィアから侵入したヴァイキングですね。
ノルマン人の一派、デーン人の侵入がなんども行われ、そのたびにアングロ・サクソン人との闘いがくりかえされました。


そして、ノルマン系の王朝が、イングランドを統一していきます。
日本は、平安時代の後半で藤原道長が亡くなり、しだいに天皇から武士へと、支配力が移っていくのです。


スコットランドは、長いあいだイングランドと争いながらも、スコットランド王国として独立をたもっていましたが、1707年には、グレートブリテン王国としてイングランドと統一されました。
日本は江戸時代、徳川綱吉の時代です。


いまでは、スコットランドとして独立した議会をもち、通貨も独自のものがあります。


ウェールズのケルト系住民は、ローマ帝国からの影響力が、もともと弱かったといえます。
1258年には、プリンス・オブ・ウェールズが誕生します。
ノルマン王朝による統一をしりぞけ、ウェールズのほとんどの領域を支配下に収めたウェールズ公国が成立したのです。
1258年、鎌倉幕府成立後、北条氏が権力をにぎっていたころですね。


けれどもウェールズでは、統一王権が確立されるまでにはいたらず、イングランド王国に征服されその統治を受けるようになりました。
ウェールズ人としての民族意識は、とくに強いものがあるようです。
ウェールズも、独自の議会をもっています。


北アイルランド、ここも複雑な歴史をもっていますね。


いったんは、アイルランドはグレートブリテン王国に合併され、グレートブリテン及びアイルランド連合王国として成立します。
1801年のことです。
日本は幕末に近く、江戸幕府の屋台骨もゆれうごきはじめています。
イギリスの船が、日本のまわりに、ちらほら現れています。


宗教的な問題も絡んで、内戦や抗争、イングランドの支配と抵抗の歴史がつづいた後、1922年、南部・西部アイルランド地方が連合王国から分離、独立をしました。
北アイルランドはイギリス統治下に残ることになりました。


テロ活動など紛争がつづき、北アイルランド議会政治が安定するまでには時間がかかっています。


こんなUKの国旗は、ごぞんじUnion Jack ユニオン・ジャックですね。


このユニオン・ジャック、じつは、イングランドの白地に赤の十字、スコットランドの青地に白の×字、アイルランドの白地に赤×字の国旗を組み合わせたものだということを、はじめて知りました。


それならウェールズはどうしたのかと思うところですが、はやい時期からイングランドに服属し、一体化が進んでいたために、その意匠をとりいれるという機会がなかったようです。
ユニオンジャックは、はじめから今のようなデザインだったわけではなく、スコットランドとの連合時代には、2国の国旗をくみあわせたものだったのです。


ウェールズとしても、それで問題なしというわけでもないようです。
イングランドがウェールズを併合したさいに、イングランドの王子をプリンス・オブ・ウェールズとしてウェールズの人々にあたえるというかたちをとって以来、代々のイングランド王家の王子は、プリンス・オブ・ウェールズという称号をあたえられている、ということによって、面目をたもっている、というところでしょうか。
じっさいウェールズの国旗は、上が白、下が緑という地色のまんなかに、赤い竜が描かれているという、ユニオンジャックにはくみあわせずらいデザインなんですね。


UK成立までの過程をみるだけで、争い、宗教、人種、などさまざまな問題を知ることができます。


日本人は日本人の、イギリス人はイギリス人の、国民としての意識や性格が特徴づけられるのも、当然なのだろうなあと思いました。



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参考HP『英国について:イギリスの歴史と文化』

ブログ♪ケルト民族の黄昏 その1 『ランチタイムのブログ 』

ブログ♪豊かな社会(アングロサクソン論2) 『防衛省OB太田述正ブログ 』

ブログ♪スコットランドの歴史とスコットランド人がわかる本  『グラスゴー特派員|地球の歩き方 』


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