2010.02.17

桜の春を待ち


埼玉県に、それはあります。


なんともかわいらしい、ほかでは見たことがない、そんな場所。


桜の開花時期が話題になりはじめ、とおくに春を感じるます。
JAFのパンフレットでみた丸墓山古墳の桜は、青い空にはえて、のびのびときもちのいい、明るい景色でした。


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丸墓山古墳(まるはかやまこふん)は、埼玉県行田市にある、日本でもっともおおきい円墳です。
直径105メートル、高さ18.9メートルといえば、100メートル走のできるグラウンドの上にちょうどぽっかり、というかんじですね。


古墳というと、仁徳天皇陵とされていた大仙陵古墳が有名ですが、これは、前方後円墳です。
前の方が四角(方形)で、後ろ側が丸い(円形)というかたちの古墳です。
大仙陵古墳は、表面積としてはクフ王のピラミッドより大きい、世界最大の墳墓で、全長が486メートル、高さが36メートルです。
さらに周り三重の周濠を巡らしているので、規模が大きいですね。


丸墓山古墳がある場所は、現在、古墳公園「さきたま風土記の丘」となっています。
このあたりは、古墳時代には、東京湾につながる大きな湖、埼玉沼に突き出した半島だったようです。
北武蔵に盤踞した氏族の族長クラスのものらしい大型古墳が、5世紀の終わりから7世紀の始めにかけて築かれました。
8基の前方後円墳と円墳の丸墓山古墳が、残っています。


武蔵野国で最大の前方後円墳、二子山(ふたごやま)古墳。
金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」を出土したことで有名な稲荷山(いなりやま)古墳もここにあります。


丸墓山古墳については、大きい古墳なのに前方後円墳でないのは不思議だということで、昭和50年頃までは円墳だというのは疑問視されていました。


遺骸を納めた石室などの埋葬施設の調査はまだおこなわれていませんが、墳丘表面を覆っていた葺石や、円筒埴輪人物埴輪などが出土
したことで、6世紀の前半の古墳であろうと考えられています。
ただ、だれのための古墳であるのかは、まったくわかっていません。
伝説として、蘇我調子丸の墓であると伝えられるものがあるということです。


丸墓山古墳に向かう道は、いまでは桜並木となっています。
この並木道は、石田三成が忍城(おしじょう)を水攻めにしたとき築いた堤防の一部で、現在は「石田堤」と呼ばれています。


豊臣秀吉が後北条氏の小田原城を包囲し、北条氏政・北条氏直父子を降した、天正18年(1590年)小田原の役でのことです。
成田氏が篭城していた忍城は、北条氏方の武蔵前線基地でした。


石田三成は忍城を見下ろすもっとも都合のよい場所として、丸墓山古墳の頂上を選んだのです。
石田三成は、古墳であることを知りながら、この上に陣をはったのでしょうか。


今では墳頂に登る階段もあり、墳頂には桜が5本植えてあります。
お椀を伏せたようなきれいな小山のうえに、桜。


なんとも印象的です。


日本の桜というと、梶井基次郎の『桜の樹の下には』や坂口安吾『桜の森の満開の下』のように、木の下に屍体が埋まっているといわれたり、妖しい美しさをイメージすることがあります。
けれども、ここ、丸墓山古墳の桜は、明るい、ぬけるようなおおらかさがあるようです。
古墳ならば、だれかの遺骨がじっさいに埋まっているのかもしれないのに、ふしぎですね。


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参考HP『丸墓山古墳』

ブログ♪さきたま古墳群の“丸墓山”にはどんな伝説がある?  『クニの部屋 −北武蔵の風土記−』

ブログ♪痛快!! 戦国時代小説「のぼうの城」と、その舞台となった埼玉古墳群(埼玉・行田市2006/2010)  『いま明かす、旅で出会った世界の100景」』



⇒続けて読んでくれるとうれしい☆『江戸好みの桜餅
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