2009.01.15

脳と心

って、どこにあると思いますか?

保育園の子どもたちに聞くと、胸の辺りを指す子どもが多いようです。


の在り処とかいうものは、魂といったような言葉にもつながっていて、どこといえば自分自身であるとか、胸?頭?どことは決められないんじゃないの?と思いますよね。


ところが。


  心のオークション




よーく考えてみればあたりまえなのですが、に宿っているとしか言ういうことができません。


「英語だと『意識』は"コンシャスネス"で、『』は"マインド"です。」


コンシャスネスは、朝起きたときに、ぱっとスイッチが入るようにしてうまれるもの。
たとえば、夢遊病のような状態では意識があるとは言えない。

マインドは、無意識と意識のある状態をふくめている。
無意識はといえば、起きている間でも、聞き流しているまわりの音や、雑踏のなかで流れ込んでくる人々の顔というようなものを受け入れている状態。


意識しているというような状態をどこが作りだしているかといえば、やはり、なんですね。


が、いかにして意識をもったかということは、まだまだ科学でも、まるでわかっていないことなのだそうです。


というと、わたしは、大脳皮質であろうところから、手や足や顔がはえたような奇妙な図を思いだします。
体の各部分から受け取った情報を処理する場所が、のそれぞれに定まっているというような理解をしていました。

実際にはこれは、ペンフィールドの地図と呼ばれています。

おもに皮膚感覚のようなものを受け取る場所をしめしたもののようです。

というのは、感覚から情報を受け取り、それに対応できる体の部分を動かしているというようなイメージのものではないですか?


たとえば、イチゴを見て、まず苺だという事がわかり、赤いと認識したり、まだ少し緑がかっている、すっぱいかもしれない、と思ったりする。
ここら辺までは、イチゴを好む他の動物でもあることかもしれませんね。
それにしても、細かく考えると多くの情報を含むこれらのことを、あっという間に処理できるって、すごいなと思うのですが。

つぎに、そういえば去年、家族でイチゴ狩りに行ったなと思いだす。
下の子がいっぱい食べていたっけ。
そうだ、帰りにイチゴを買っていこう。

などなど、考えを巡らすのがだとしたら。

去年の情報と目の前でイチゴと認識したものと、のなかでどうつながったのか。
それによって、次の行動を思いついたり、その後の予定を立てたり、というの働きは、いったいなんなのでしょう。


これら総てを含めたものが、やはり、だといえるのだと思います。


自閉症だったり、になったり、ひとりひとりに個性があったり、国や地域に文化を作りだしたり、それらのもとにある人間のの不思議さをあらためて思います。


そして、これらの文章を紡ぎだすために試行錯誤している自分のは、いま、どこがどう働いているのでしょうか?



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