2009.01.13

「クオリアは、ひとつの奇蹟です」

ことばの彩り頁


 クオリアとは、もともとは「質」を意味するラテン語で、現代の脳科学では、私たちが心のなかで感じるさまざまなユニークな質感を指す。

 現代の脳科学では、意識のなかで他と区別される形で「これ」とつかみとられるものはすべてクオリアであると考えられている。心のなかでさまざまなクオリア感じることができる、ということが意識の定義であると言ってもよいのである。

茂木健一郎の脳科学講義』 茂木健一郎


茂木健一郎さんがクオリアということばを使うのを、聞いたことがあるでしょうか?


 茂木健一郎


質感、たとえば

ご飯を炊いてお釜をあけたときの、あったかい空気とほかほかした匂い。
あったかいおみそ汁のお椀を、お箸でちょっとかき混ぜたときに立ちのぼるかすかなお味噌の香り。
大根のたくあんを噛んだときの、ぱりっとした感じ

たとえば、誰でもが納得できそうな、その、感じ


けれども、日本人だったら共通して、ああ、あれね!?と思いだせそうなこれらの質感、もしかしたら、だんだんになくなっているのかもしれませんね。

みんなで朝食や夕食を食べなかったら、テレビや新聞を読むことに気をとられていたら、こんな質感を感じることもなく、過ごしてしまうかもしれません。

もちろん、クオリアは、どこにでもあるでしょう。

自動販売機の缶コーヒーが、がらんがらんと落ちてくる、あの感じ
ホットを手にしたときの、あったかい缶の感じ
プルトップを引っぱってプシュッと開いたときの、あの感じ


「絵画、音楽、彫刻をはじめとする芸術は、クオリアというものを抜きにして考えることはできない。」
文学もまた、クオリアの芸術である。」

いろいろなクオリアの集大成が、芸術となって溢れ出るのであれば、クオリアは、たくさんあったほうがいいのですね。

缶コーヒーのクオリアだけでなく、おいしい朝食にかかわるクオリアも、どこかへ行ったときの感じ、歩いて感じる空気感、いろいろな人と合って話すときのさまざまな質感。

クオリアクオリアが積み重なった先にある、次のクオリア

そういうものが共有できたとき、ひとはある芸術にたいして感動し、気もちを昂らせることができるのですね。


そうだったなら、日常のなかにたくさんころがっているクオリアを、拾い集めて、文にして、他の人のクオリアのアンテナにもとどくように、そんな文をたくさん書いていくことが自分のブログなのかな、と思っています。



興味のあるかた  →茂木健一郎『クオリア日記』



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