2008.10.15

てんかんであっても。あるからこそ。

ことばの彩り頁



日本てんかん協会の月刊誌『波』に、てんかんであるご本人の体験談がのっていました。

てんかんであることがわかったのは、看護短大在学中。
てんかんであることを知らせたときの学校の否定的な対応。

から始まり、その後どう看護士への道をとることができたのか、現在は、看護士としてどう仕事をしているか、というお話です。

あまり目にする機会のない方も多いと思いますので、少し抜粋しながら、紹介したいと思います。


  ドストエフスキーもてんかんだった


現在25歳になる谷口さんという女性のかたです。

はっきりと、てんかんと診断を受けたのは、二十歳のころだそうです。
それまでも、熱性けいれんを小さい頃におこしたり、意識を失うようなことがときにあったそうですが、てんかんとは、思わなかったのですね。

てんかんは、年をとってから急に症状が現れることもあり、この方のように本人が気がつかないこともあるんですね。

谷口さんは、たまたま看護短大の実習中に発作を起こしたそうで、初めてきちんと診断を受けたところ、側頭葉てんかんとわかったそうです。


てんかんであることを知らせたときの学校側の対応が、実習には連れて行けないというものでした。
実習で単位をとらなければ、看護士の資格をとることはできません。それではなんのために、看護学校へ通うのか、わかりません。

「すべてを否定されたようで」ショックを受け、学校も休学。
当然のことです。


けれども、谷口さんは、そこで自分までが否定的になることをせず、専門医にもういちど診断を受け、これからさきのことも相談したり考えたりしています。

もう一度あらためて看護士への道をめざすことを決心し、学校とも話し合いを行い、無事国家試験にも合格して、看護士になることができたのです。


ところが、
「新しい環境に、『これから素敵な看護師になるぞ』と意気込んでいた反面、環境の変化、社会人であるということ、極度の緊張と疲労があり、入職1週間もたたないうちに、研修中、新人職員みんなの前でけいれん発作を起こしてしまいました。」

じつは、勤務先の病院にはまだ、てんかんであることを告げてなかった谷口さん。
てんかんであることを理由に職に就けないかもしれないことをおそれたためでした。

谷口さんは、「告知」という重いことばを使っています。

その後もしばらくは、職場にてんかんであることを告知せずにいましたが、「患者さんと接しているときに、発作が起きたら…」とつらい思いで働くことになってしまい、とうとうてんかんであることを上司に告げたのでした。


職場も同僚も理解があり、その後はてんかんの発作もおちついて、仕事に専念できたようでした。


救急外来でてんかんの患者さんに接するなか、「当事者で看護師であるにもかかわらず、必要な知識と経験に乏しく、情けなく、辛い」という気持ちをばねに、てんかん専門病院で仕事をすることを考えているそうです。


てんかんは、てんかん専門医という医師にかかるのがまず大切です。
てんかんは、発作の型を判断し、それにあう薬を飲むことでおさえていくわけですが、専門的な知識がないと難しいのです。

もちろん、医師も看護士も、てんかんという病気については勉強をしてくるわけでしょうが、一般的な知識だけでは対応できずらい病気なんですね。


長男は、重度心身障害児でてんかんの発作ももっていますが、毎日発作がありますし、薬では発作をおさえきることができません。
そんな長男は、近くの総合病院に入院しても、看護士さんに発作のことで相談はできません。
ぎゃくに、普段はどうなのか聞かれてしまいます。


そんなことからも、谷口さんのように、てんかんのことを勉強してもっと知識をふかめたい、という看護士さんがいてくださるのは、心強いことです。

いろいろな発作をもっている方と会い、話をして経験をつみ、専門的な知識をふやして、ぜひ、てんかん専門といわれるような看護士になってくれたらと思います。


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