2008.09.28

清少納言の「うれしきこと」

”魂がふるえました。おすすめです”というIさんは六十年近くも前のあの頃とおなじ魂を持ちつづけているのだ。その心の皮膚はいまもやわらかく、弾力に富んでいる。
 心の皮膚のやわらかさといえば、『枕草子』に、”こころときめきするもの”という段がある。

 清少納言の心に感じるのは、やはり、若さ、みずみずしさ。彼女もまた、自分の魂のふるえを語り、私たちに「ね、そうでしょう」と同意を求めるのだ。

   
 秋のある日、Nさんから一通の手紙が届いた。

”先生、きょうはうれしきこと三つでした”

枕草子』の中の”うれしきこと二つにて”ということばを踏まえているのである。


 心のときめきを持ちつづける人たちの手紙や電話に触れ、私もまたときめきを分けていただく。それをエッセイに書きとどめることによって、私もまた読者にお福分けする。


 私の日々は、まさに”うれしきこといくつもにて”である。





枕草子を、いろいろな方の訳で読んだ時期がありました。
高校時代に古典で勉強したころには、興味がなかったわけでないものの原文で読むのは難しくて全然だめ、と思っていたものです。
いまだったら、あんがい原文でも困らないかなあと思ったりもします。

やはり、勉強しなければと思って読んだ枕草子は、文章としてはあまりこころに響くことがなかたのでしょうね。
その後に読んだ本のおかげで、清少納言も、ずいぶんと生き生きと身近に感じられるようになってきました。

  清川妙さんの著作

清川妙さんについてのブログをもっとよみたいかた⇒こちら

 古典、読みつがれてきたものには、やはり、それなりの魅力があったのですね。あたりまえかもしれませんが、あらためてそう思います。

清少納言がひとこと発した、「こころときめきするもの」「うれしきこと」を、何年も後の清川妙という読者がうけとめ、それを誰かに伝えるわけです。
すると、伝えられたNさんやIさんが、自分の喜びとしてさらにそれをふくらませ、清川妙に伝えもどすわけです。
清川妙さんは、もどってきた喜びをたのしむとともに、もどってきたことそのことにも喜びをおぼえますね。

それが、「喜びの倍々ゲーム」と、清川妙さんが名付けなものです。

喜びは、人に渡したからといって、決してなくなりはしないものです。

こうやって、古典の文章があたえた感動は、ひろがっていったのですね。。


ああ、そういえば、そんな言葉が枕草子にあったんだ、と思います。
田辺聖子さんも、清少納言のそんな明るい気持ちをもつこたができるところに共感していたな、と思い出します。
清川妙さんもそう思うんだ、と、気もちをあらたにします。

ああ、また枕草子を読んでみよう、と思います。


「喜びの感性を磨きつづけて」「前向きの、喜び上手」「自分の心を明るみに向けるための、大変効果的な自己演出」

じつは、こういうことは、じっさいの私は苦手でしかたがありません。

いろいろな本を読んで、いろいろな方の言葉で、前向きで楽しいことをみつけるのがよい、と、頭ではわかっているのですが。

じっさい、落ち込むことばかりで、いったん落ち込むとなかなか気分をかえられるものではありませんね。

せめて身近なところから、と、ブログを始めてみたのですが、「楽しいことたのしいこと」と、呪文のように唱えていないと、なかなかみつからなりません。

それでも、続けていけば、「喜び上手」になれるのでしょうか?

続けていくことこそが、「喜びの感性」を磨くことになるいうことも、清川妙さんが書いていらっしゃいました。


清川妙さんの本を読んで、すこしずつから、いく重にも幸せな言葉をためていきたいと思います。


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