2008年09月30日

赤毛のアンの真珠ひとつぶ

”こまやかに”

 かやうのことはただ朝夕の心づかいによるべし

 こまやかに見、こまやかに聞き、こまやかに心にとどめる。


 こまやかに人を愛し、こまやかな日々を暮らし、それを積み重ねて、こまやかな人生を成就させることができれば、この上もないしあわせだと、このごろ、切に思う。

『徒然草』の第三十二段で、兼好法師がさもなつかしそうに語ってくれたのは、ひとりの女性の思い出である。







清川妙さんの本を読みはじめ、なるほどねえ、というていどで軽く読み終わるかなと思ったのだけれど、気になる文章が多くて、そうはいかない感じです。

清川妙さん、『赤毛のアン』がお好きで、古典とともにところどころで引用されていらっしゃいますね。
私も、『赤毛のアン』が、それはそれは好きだったのです。


清川妙さんの「こまやかに」の文を読んで、『赤毛のアン』に、真珠がひとつぶひとつぶ連なったような日々のしあわせ、というような一節があったことを思い出しました。
なんども『赤毛のアン』を読み、おとなになったころ、真珠ひとつぶの意味がよくわかる気がしていました。


ずうっと赤毛のアンシリーズが大好きで読みつづけていたけれど、このごろは、遠ざかっています。

真珠のことばは、ほんとうはどうだったろう?

  赤毛のアン


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2008年09月29日

サジューの古きフランス

メゾン・サジューの名を、はじめて知りました。

フェリシモのカタログの中で紹介されていた、新しいサジューブランドが、魅力的だったのです。


新しい、というわけは、元祖というべきサジューブランドが19世紀フランスにあったからです。

元祖サジューブランドは、1830年代にジャック=サイモン・サジュー氏が設立した、メゾン・サジューです。
フランスの家庭で楽しまれていた手芸のための図案やはさみなどを、デザイン化し、さまざまや用途の手芸用品を販売することに情熱を傾けました。

新しいサジューブランドは、フレデリック・クレスタン=ビエさんが、彼女の刺繍への情熱のままに、サジュー氏のビンテージ品をコレクションし、それらをもとに、復刻版を販売しています。

当時も今も、手芸好きなら知らない人がいない、というブランドです。

  サジューブランド


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2008年09月28日

清少納言の「うれしきこと」

”魂がふるえました。おすすめです”というIさんは六十年近くも前のあの頃とおなじ魂を持ちつづけているのだ。その心の皮膚はいまもやわらかく、弾力に富んでいる。
 心の皮膚のやわらかさといえば、『枕草子』に、”こころときめきするもの”という段がある。

 清少納言の心に感じるのは、やはり、若さ、みずみずしさ。彼女もまた、自分の魂のふるえを語り、私たちに「ね、そうでしょう」と同意を求めるのだ。

   
 秋のある日、Nさんから一通の手紙が届いた。

”先生、きょうはうれしきこと三つでした”

枕草子』の中の”うれしきこと二つにて”ということばを踏まえているのである。


 心のときめきを持ちつづける人たちの手紙や電話に触れ、私もまたときめきを分けていただく。それをエッセイに書きとどめることによって、私もまた読者にお福分けする。


 私の日々は、まさに”うれしきこといくつもにて”である。





枕草子を、いろいろな方の訳で読んだ時期がありました。
高校時代に古典で勉強したころには、興味がなかったわけでないものの原文で読むのは難しくて全然だめ、と思っていたものです。
いまだったら、あんがい原文でも困らないかなあと思ったりもします。

やはり、勉強しなければと思って読んだ枕草子は、文章としてはあまりこころに響くことがなかたのでしょうね。
その後に読んだ本のおかげで、清少納言も、ずいぶんと生き生きと身近に感じられるようになってきました。

  清川妙さんの著作

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2008年09月26日

大島弓子のグーグーと一杯のミルク

大島弓子さんの『グーグーだって猫である』が、映画化されているんですね。

わたしは最近知ったので、ちょっと、びっくりでした。

グーグーだって猫である』は、映画化するようなドラマのようなストーリーがなく、地味なはなしだと思っていたからです。
それに、『グーグーだって猫である』、わりと以前に描かれたまんがだと思っていたので。

映画の『グーグーだって猫である』は、主演が小泉今日子さんというのも、ちょっとびっくりでした。
大島弓子さんは、いつもイラストでご自分のことを描いていて、どんなお顔なのか知らずにいますが、小泉今日子さんとは結びつかなかったのです。

でも、どうやら、映画のほうは、お話が原作とは少しだけ違うようですね。

グーグーだって猫である』の漫画のほうは、なんと、まだ連載中なのでした。
二度、びっくり。
しばらく前に図書館でみかけて喜んで借りたのですが、もう次の巻が出てお話もおわっているものと思っていました。
(大きな図書館でないので、全巻揃っていなかったりするのも、有りなのです)

現在は、「本の旅人」で連載中のようです。


さて、

    グーグーだって猫である







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2008年09月25日

毛塚千代『手作りのあるやさしい暮らし』を3K団地で

毛塚千代さん、ごぞんじですか?

手芸好きの方なら、当たりまえのように、知っていらっしゃるかもしれませんね。
いまでは、カントリー雑貨や、手作り大好きという方達にファンの多い毛塚千代さんですが、ごく平凡な主婦だった方です。
ご本人はきっと、普通の主婦だよ、といまでも思ってらっしゃるでしょうね。


わたしは、もうずっと以前の、毛塚千代さんを、知っています。
『私の手作り』という雑誌に、よく紹介されていました。

読者の方の、手作りの小物や、インテリアの工夫、リフォーム、等々を紹介することがメインの雑誌でした。ガーディニングもパッチワークもありという間口のひろい、手作りをしてみたいとおもわせるような、内容でした。

毛塚千代さんは、いまと同じ3Kの団地にお住まいで、お子さんもまだ小さく、部屋の中をああでもない、こうでもない、と模様替されていたのです。

3Kの部屋をなんとか理想に近づけようと、試行錯誤の時代だったようです。
色使いも統一されていなかったり、まだまだすっきりしていなかったり。
今考えると、一生懸命なんだけれど、洗練されていないという感じです。

主婦が、狭い、古い、暗いイメージの部屋をなんとかしたい、という雰囲気が『私の手作り』によく表れていました。
とにかくカントリーらしい人形やら雑貨を飾ってみたり、パッチワークをせっせと作って家具も台所用品も覆ってみたり。

わたしも、もちろん、いろいろやりましたよ。
結婚してすぐの頃は、安い借家住まいで、何をしてもクレームがくるような家ではなかったので。ペンキを塗って壁を白くしたり、ふすまをはずしてみたり、手作りのカーテンをかけてみたり。


そんな毛塚千代さん、いまはどんな暮らしをされているのでしょうか。

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2008年09月24日

木村拓哉

木村拓哉が「an・an」の読者が選ぶ「好きな男ランキング」で15年連続1位になったということを、携帯のニュース配信でちらっとみました。

じつは、キムタク、好きなんです。


テレビ番組のSMAPSMAPも、月曜日のお楽しみとして、毎週見ています。

なにをやってもそつなくこなす、スマートさ。
スポーツ関係のことだと、たとえゲームでも、かならず良い成績で、なにをやってもすごいなあと思わせられます。

あの衆人観衆のなかでの集中力は、すごいんじゃないかと思います。


そういうこともありますが、まず、好きなのは、あの動きですね。
もちろん、顔とかも好みでないとだめですが、動きの過度ではないけれどセクシーな感じが、どきっとさせられます。

SMAPSMAPを見ていると必ず見られる、ギャツビーのCM、好きです。
今は変わってしまいましたが、黒のスーツでダンスするのが、なんとも色っぽくて。


この、セクシーで過剰ではないスマートさのある動きというものが、わたしはかなりお気に入りで、まったく違う分野で、この人っという方があります。

宝塚歌劇団の、トップ、紫苑ゆうさん。

宝塚大好きというほどではないので、テレビ中継でたまたま見たのですが、それから紫苑ゆうさんのお名前は、しっかりインプットされました。

かなり以前になりますが、フィギュアスケートの男子シングル選手、ウクライナのヴィクトール・ペトレンコさん。

エキシビションでみせた『アヴェマリア』の曲にのせた演技、ビデオに撮って、何回も見ました。


計算しているのかもしれないけれど、そう見えない動き、もともともっている体の線のきれいさ。それらで、この3人はつながっているわけです。


もうひとつ、キムタクに関して感心していること。それは、家庭をまったく感じさせないということですね。

それがいいのか悪いのかはともかく、徹底しているところがすごいと思います。

工藤静香がラジオに出演したトークの中でも、家庭のことを話していなかったので、子どものことなどは話題にしないように家族の方針なのかなと思いました。
が、一番最後のところで、子どものはなしがちらっとでたので、そういうわけではなさそうです。

キムタクのほうは、SMAPSMAPのような仲間内の番組はもちろん、ほかのトーク番組とうでも、家庭、子ども、結婚していることをにおわせるような話題をきいたことがありません。
これは、ジャニーズとしての方針というようなものもあるのかもしれませんが。

キムタクのやっているラジオ番組というのが、金曜日の夜にあって、これもよく聞きます。
個人的な話などもかなりでるのですが、まったく家庭には触れずに澄ませています。

そういう姿勢を貫いている、というところに、好きな男ランキング1位をつけてもいいなあと思います。
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2008年09月23日

ひとり旅

多くの見知らぬ人とめぐり会い、語りあう楽しさ。それは人生の味を深めてくれる、最上のスパイス。そして、また、自分の価値観や自立心と真っ正面から向きあうことは、自分を鍛えあげることになる。

『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』 清川妙



清川妙さんは、『さあ、勇気を出してごらん』という本の中で、「大変内気であった私は、仕事をすることを通して、その性格を直していった。」と書いていらっしゃるんですね。

それなのに、海外ひとり旅を、しかも60歳をこえてから13回も、敢行されている、本当に内気なのですか?とお聞きしたくなります。

私だって、内気です。
できうれば、義理やら必要に迫られて人にあったり何かの会にでるのは遠慮したいです。
専業主婦ですから、できるだけ家に引きこもっていようと思えば、そうできます。そして、まあ、かなりそうしています。

でも、旅はいいなあ、と思います。
このところの子育ての疲れというか、家庭に縛られることのいらいら解消には、ひとりになることがいいなあと思ったりします。

いま、さあと思い立ってひとり旅に出かけていくのには、あまりにも根回し?というか事前に片付けておかなければならないことが多すぎて、とてもたいへんそうです。

海外まで出かける時間は、とてももてないでしょう。

せめて国内だったら?

『ひとりたび1年生』『ひとりたび2年生』というたかぎなおこさん著のほんをみつけました。

こっちだったら、いけるかなと思います。

家から離れてアパート生活をした学生の頃や、結婚してしばらくは、身軽で、気持ちもみがるだったのでしょう。
旅とまではいわないものの、ひとりで日帰りの移動くらいは、ごく気軽にやっていました。

それが、出かけないことが習慣になってしまうと、ほんの数時間のおでかけでも、よっこらしょっと腰を上げないと行けないのです。


あこがれのイギリスはひとまずおくとしても(英語もまるでしゃべれません)、もう少しでかけることを自己プランニングしてみよう、清川妙さん流に言えば「セルフ・マネジメント」して、活力を、元気を、笑顔をとりもどさなければと思います。
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2008年09月22日

イエスオワノウ?

英語では、「あなたはナニナニしますか?」という問いに、必ず「イエス」「ノウ」を先に立てて答える。
どうしようかなとためらっていると、重ねてたずねられる。それも「イエス、オワ、ノウ?」とゆっくりではなく、「イエスオワノウ?」と畳み掛けた調子なのだ。

 先生はよく、こう私を叱った。
「ノウ・エクスキュース!」


『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』 清川妙



「今出かけるの?それともあとから?」
「これ、買うの?買わないの?」
「捨てようかしら、どうしよう」

人生は、イエスオワノウに満ちている。


わたしも、我が家の住人たちも、イエスオワノウ?にお答えするのは、ひじょうに苦手だと思います。

図書館行く?どうする?とお互いに言いっぱなしで、結論が出るまでに1時間もかかっていたりします。

清川妙さんも、英語をおしえていただいた先生との会話で、ためらったりあせったりしながらも、「イエスとノウがはっきり言えるようになった」そうです。
それはなにも、たいそうな決断力とかではなく、「感情からだいぶ贅肉がとれて」「物事はすっきりと合理的に運ぶ」ということのようです。

つまらないところで、もたもたひっかからずに、さっさと本来やるべきことにすすむ、ということなのでしょうね。


「ノウ・エクスキュース!」というのは、「言いわけをしないで!」ということです。

清川妙さんも、宿題をしないでしまって先生によく「ノウ・エクスキュース!」を言われたそうです。清川妙さん、56歳のころのことですが。

「イギリスでは、子供時代、少年、青年時代を通じて、両親や学校の先生などから、この言葉を浴びて成長していくのだろう」とありますが、日本でも、少し前の時代までは、「いいわけはするな!(ぴしゃん!と頬をはったりして?)」ということがあったのではないでしょうか。
子どもがいいわけをするんじゃない、というのがあったような気がします。

いまの親には、ちょっと考えられないかもしれません。
親業についてあれこれ言う人たちも、子どもの話を良く聞いてということのみを言うようです。

けれど、「ノウ・エクスキュース!」があってもいい気がします。


大人の世界には、言い訳の通用しないばしょもありますね。

電車が遅れたり、ちょうど来客があったり、風邪で体調が悪かったり、正当な理由がどこでいいわけにかわるのでしょうか?

自分が正当であるはずの理由を言ったから、許されるべき、とおもったときに、きっと、「ノウ・エクスキュース!」なのですね。


ぐずぐず言ってないで、イエスオワノウやノウ・エクスキュースですませて、それで恨みっこなしだったら、さっぱりしていいな、と思います。


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2008年09月21日

 どんな習いごとでも、どんな仕事でも、人はいくつもの溝を越えながら歩いていく。溝を越えるためには、一歩ずつ一歩ずつ歩いていくよりしかたがない。しかも溝というのは、とび越える前には、けっしてわからない。でも気がつかないうちにふっととび越えて、あとから、はっと意識するところに、無限の喜びがある。


『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』 清川妙



オリンピック中継に関連して、スポーツ選手の話題も多く、スポーツ音痴のわたくしは、ひたすら感心しておりました。

がんばって頑張って、スランプに陥って、でもまたがんばり続けているうちに、ある日気がついたらうまくいくようになっていた、っていうような話、よく聞きますね。

本当に、すごいなあー、と思います。

それこそ、究極の「溝をこえる」だと思います。


我が家の次男が、保育園で年長になった今年から、一輪車を始めました。
もちろん、強制ではありませんが、ひごろから、自分の力を伸ばしていこうということに力を入れているところなので、子どもたちも、自然とやる気になって取り組んでいるようでした。

6月の参観日では、年長児(といってもごく少人数です)が一輪車の練習をしていました。バーに捕まって、というより寄りかかるようにしてヨロヨロ2、3回転ぶん進み、バーから離れたとたんにぱたっと足をつくという状態で、とても乗れるようになるとは思えません。

何回か、乗れるようになったか、誰かお友達で乗れるのか、と聞いてみましたが、誰も、乗れていないようでした。

夏、子どもたちは水遊びのまっさかり。

とても一輪車など練習していないようだし、いったいどうなっているんだろう、例年の様子だと、きっと運動会に披露するんだろうに、大丈夫かな?と思っていました。


ところが、9月のある日、一輪車は?と聞くと、「のれるようになったよ」の答えにびっくり。

しかも、全員乗れるらしいのです。

えー!いつのまにーー?!

子どもにとっては、大事件でもなく、いつのまにか乗れたくらいの感じらしく、親のほうが、すごいすごいと連発してしまいました。


夏はやっていなかった一輪車の練習。
6月に見たときは、まるで乗れそうでなかった。

それでも、6月7月のころにまいにち頑張っていた成果が、ぱっとあらわれたんですね。

子どもは、溝があるなんていうことも感じないうちに、楽々クリアーしていくんですね。
子どもの力ってすごいなと、あらためて思いました。


さて、わたしには、「溝を越え」ながら一歩ずつすすみ、喜びを得ることのできるようなことがあるでしょうか?

子どもの世話?パッチワーク?
いまはブログを書くことかもしれません。
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ことば

ことばの彩り頁



そう考えると、多感な子ども時代を受け止める保護者の方は、まずは学校から子どもが帰ってきたときには、明るい声で「おかえり」と呼びかけ、スキンシップもしてあげるべきでしょう。そして、お互いに目を向き合わせ、肩を寄せて、今日学校で起ったことを聞き、相槌を打ってあげることが大切です。

子どもから何かを聞くときには、仕事の手を休めて子どもの目を見て、正面から向くようにしたいものです。そうでないと、子どもたちに不満が残り、本当の信頼が得られなくなります。


いま伝えたい大切なこと』 日野原重明



テレビのコマーシャルで、いくら「子ども抱きしめてあげましょう」だの「子どもと会話をしましょう」だの言われても、あたりまえじゃなーい?と思ってしまう自分がいます。

そんなことは当たり前と思う反面、忙しくてできない、だの、抱きしめるって言ってもね,今さら、、、とできない言い訳もあります。

それが、日野原重明さん、96歳に言われると、なるほど、そういうものだなあ、と素直に思えるのです。

ご自分が、子どもにも患者さんにも、かわることなく真摯に接していらっしゃる方が口にする言葉だからでしょうか。
日野原重明さん、ご自身も、なんだか子どものように素直にいっしょうけんめいな方で、うわべや理屈でなく、本当にそうしたほうがいいんですよ、という気持ちが伝わってきます。

「心理学者のA・メラビアン博士によると、感情の伝達に占める言語の情報の寄与率は、わずか7%にすぎず、残りの93%は声や表情によるものだそうです。」

大人相手の場合なら、93%のうち45%くらいは、相手が勝手にこちらの感情を斟酌してくれるかもしれません。ああ、今忙しいんだな、とか、具合でも悪いのかしらとか、大げさな表現ねえとか。

でも、子ども相手の場合は、93%も使い切ってはっきり感情をつたえてあげないと、そのまま受け取ってしまうんですね。
不機嫌な様子なら僕に機嫌を悪くしてる、とか、忙しそうに片手間に相手をすると私の相手をする気がないみたい、とか。

いつもいつもは、日常を仕切っている主婦には、はっきりいって無理かもしれません。
でも、帰ってきたとき、子どもが自分のことを伝えようとしているとき、くらいは、1分、2分でも、気持ちを伝えるためのコミュニケーションをしなくてはいけないんだと、あらためて思いました。


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いのち

ことばの彩り頁


「いのちは目には見えないが、君たちみんなが持っていて使えるものだ。そしてそれは、君だけが持っていて自分のためにフルに使っている時間だ。その時間をこれから先、どう使うかがすなわち、君の生き方だよ」
「その君たちが持っていて、自分らしく使える時間というものがいのちの本体なんだよ」 
 

いま伝えたい大切なこと』 日野原重明



日野原重明さんて、お医者様なんですね。
でもって、本を書かれたときが96歳です。

いちど、テレビでも拝見したことがありました。
『情熱大陸』で、九十いくつのお医者様と聞いて、はじめびっくりしたことを覚えています。

注射器を持つ手がふるえたりしないの?とか、判断を誤ったりすることないのかな、大丈夫?とか、よほど後継者がいなくてがんばってる?などということが頭をよぎったりしました。

もちろん、情熱大陸の番組を見ている間に、そんなたーいへんに失礼なことを考えたりして、申し訳ありませんでした、という気持ちになりましたが。


『いま伝えたい大切なこと』は、2008年発行ですから、現在96歳、あいかわらずお元気なわけですね。

聖路加国際病院理事長、名誉院長として、お医者様として、そのほかお忙しいなかを、各地の小学校を訪れて「いのちの授業」を行っているのだそうです。

そのなかでの、いのちについてのことばです。

いのちって何?」と聞かれたら、どう答えていいか、こまってしまいますよね。
それに対して、このように、明確に返事が返ってきたら、それだけで、なんだか安心します。

日野原重明さんも、90歳をすぎてから、「『いのち』とは、自分が自分の意図で活用できる『時間』である」とはっきり考えるようになったそうです。

重みがあるとともに、説得力のある、それでいてわかりやすいことばだと思いませんか?


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2008年09月20日

花火

季節の風物青藍の彩り


花火があがっています。

ここいらへんは、花火が多いんですよ。
神社のお祭りが地区ごとにあったりして、そのたびに花火があがるんです。

妹の旦那は、他県から婿さんに来たので、初めはびっくりだったようです。


自分の地区の神社の花火はもうとっくにおわってますが、今夜は別の神社のが近くに見えます。

しかも、ここはちょっと窪地になった場所なので、花火の音が谷を行ったり来たりして、響くなあ。



花火

好きですよ。

このごろでは、かなり工夫を凝らしたものが多くて、テレビ放映されるような大きな花火大会ではなくても、けっこう楽しめます。

なにより、近いと、迫力が違います。

近所の神社のは、真上とは言いませんが、斜め140度くらいの角度で自宅から見られます。90度を真横と考えると、ということですが。

とてもきれいで停めておきたいと思っても、いっしゅんで消えてしまうんですよね。そう思うと、いっしょうけんめい見入ってしまいます。


花火が好きなのは、日本人が世界で一番ということらしいですが、そのなかでも、この地域は花火好きなのでしょうか。


そういえば、小学校の運動会があって、運動会の朝6時、開始時刻(校長の開始宣言の直後)、昼前終了時、全体終了時、と、煙火があがるのですが、どこの地区でもそうなんでしょうか?


山下清『長岡の花火』リトグラフ


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花から草

アンティーク煤竹色の彩り頁



唐草というと、なんだか、唐草模様のふろしき、あの、古式ゆかしいどろぼうさんを思い出したりします。

一時、ずいぶん話題になった「お宝探偵団」というテレビ番組がありましたが、そのなかでも中島誠之助という方が器類に精通しておられました。「からくさ」というなまえの古伊万里のお店をやっているかたでしたね。

からくさというと、ぐるぐるとした渦巻き状の線模様、またはそこにちょんちょんとでっぱりのついた、いわゆる唐草を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、とてもきれいな、花唐草という模様の器があります。

渦巻き状というより、蔓がうずまきのようにのびた植物の模様とでもいいえばいいでしょうか。
蔓に葉だけがついている模様の器もあり、三輪か四輪、はなが咲いている模様のものもあります。

ほんとうに古伊万里として作られたものを買うと、お高いのです。

現代では、100円くらいでも印刷のものが買えたりしますが。


江戸時代の手描きのものをみると、そのきれいさにびっくりします。

下書きなどをしたのかどうか、ぐるぐると伸びた蔦も、器の中でせせこましくなく、のびのびとした線で描かれています。

また、上薬によって、うつわの透明度が増し、表面がガラスでコーティングされたように見えます。

これが本当に、昔のものなの?と疑いたくなるようなものもあります。


器の形もそれぞれで、長皿、小皿、大皿、椀状の器、などあり、それぞれにぴったり収まる、花唐草の模様が描かれています。


何種類か買い集めた花唐草の器たちは、たまに、食卓にのぼります。

壊れたりするのがこわいので、さすがに日常使いにはなかなかできませんが、はれの日には登場します。
きれいだけれど、シンプルな模様なので、どんな料理にもあいます。

白い器に藍色で描かれた花唐草、その上に卵焼きの黄色、トマトの赤い色、緑のパセリなどをのせたら、とてもきれいです。


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2008年09月19日

清川妙

清川妙長春色の彩り頁


天真爛漫で、ラブリー。長年の人生で培われたチャーミングさとはこういうものなんだ、

日々の小さな喜びをすくいとった文章で魅了する作家・清川妙さんは1921年生まれ、現在85歳。取材に訪れた国で英語が全く通じなかったことに触発され、53歳から英語学校に通い、65歳から始めたイギリスへのひとり旅は、何と13回を数える。「与謝野晶子や林芙美子のようなひとり旅に憧れがあったんです。今ではイギリスは親類がいっぱいいる故郷みたい。言葉こそ違っても、芯のところで通じ合えるのは真心なんだ、いろんな職種や暮らし方があっても皆、一生懸命生きているんだな。異国でそう悟れたことは素敵だなって思うの。ひとりで旅することで好きなのは、自分を振り返ることでしょう。自分にとって家族や仕事、何がいちばん大切か、心を洗ったり磨いたりしながら気持ちをシンプルに戻しに行くのがうれしいんです。」

Book port FELISSIMO



こういう年上の女性の生き方に、ほんとうに憧れます。

潔く、とらわれずに生きているように思える。

いろいろなご苦労やつらいことがあったにしても、それを感じさせない、軽やかさを感じます。

芯のある。凛とした。そういった言葉が似合う。


日々迷い、文句ばかり、疲れて、なんだか楽しくなくて、そんな私でも、もう少しは上向いて、憧れに近づいていたい、そう思います。

大原照子さんも、同じくあこがれの女性。こちらは77歳。
写真を拝見するだけですが、大原照子さんも、清川妙さんも、年齢を感じさせません。


そして、清川妙さんも大原照子さんも、イギリスを第二の故郷とされています。


イギリス、英国。
とても魅かれますね。
いつかは行ってみたい、そう、滞在してみたい、ですよねえ。


清川妙さんの本は、読んだことはないかなあ、でも名前はどこかで知っているような?と思ったら、『わたしの古典』シリーズの『万葉集』が、清川妙著でした。
古典が好きで、特に源氏物語や枕草子にはまったころに読んだものでした。

「『徒然草』と『枕草子』は今もことあるごとに読み返す」という清川妙さん、古典関係の本も書いていらっしゃるので、それもまた読んでみたいですね。



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2008年09月09日

清川妙 長春色の頁

清川妙長春色彩り


  うれしくて、悲しくて

  清川妙の「甘い、甘い」

  イギリス人のほめ言葉

  赤毛のアンの真珠ひとつぶ

  清少納言の「うれしきこと」

  ひとり旅

  イエスオワノウ?

  

  清川妙
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